【レビュー】ソ連によるストライキの武力弾圧事件を通して今私たちが思うことは―『親愛なる同志たちへ』




歴史は繰り返すと言うが、まさにタイムリーすぎるロシア映画が一般公開の日を迎えた。

2020年9月からロシアでも公開されていたこの映画、今の日本で是非多くの人に見てほしい傑作だ。

何ならロシアでも今からリバイバル上映してほしいくらいだ。

今から60年前、ソ連南部の町、ノボチェルカッスクの工場で大きなストライキが起こった。

フルシチョフ書記長による統治下において物価の上昇や賃上げに労働者がついに業を煮やしたのだ。

抗議の声を上げる人々は総勢5000人に膨れ上がったが、これに対する政権の対応は何と群衆に対する無差別な発砲だった。

その後1980年後半まで20年近くもソ連が隠蔽していた「ノボチェルカッスク虐殺事件」

ソ連が1991年に解体して約30年が経過した今、齢80を超えるロシアの巨匠コンチャロフスキーがある1人の女性の体験と視点を通してこの事件を内部から力強く描く。

為政者側に一定の関係がある女性が愛する家族の身を案じて奔走する物語という点では、第二次世界大戦以降のヨーロッパ最大の大量虐殺“スレブレニツァの虐殺”を描いた傑作『アイダよ、何処へ?』に類似した部分がある。

ただ、同作のアイダが国連軍で通訳の仕事をしていたのに対し、本作のリューダは国家に忠誠を違う熱心な共産党員だ。

国民の生活水準が落ちていく現状に疑問を抱きながらも、政権を支持する立場は崩さず、これに対立する勢力への意見は手厳しい。

そんな彼女だが、弾圧された群衆の中に紛れていた18歳の愛娘の行方がわからなくなったことから、一心不乱に娘を捜し始める。

国への忠誠や期待と、娘の無事を祈る母としての気持ち。

2つの理性と感情のせめぎ合いに苦しむリューダの葛藤が、その経験を通してリアルに観客の元に届けられる。

何よりも生死不明の娘の行方を必死に探す彼女の母親としての不安や悲痛は党員としての立場に関係なく、全ての人の心を強く捉えるはずだ。

国家と国民の関係、親と子の関係。

世界の歴史の中でどちらが先に発生し、どちらがその価値を優先されるかは、少し考えただけで誰にでも分かるはずなのに、今ある世界はそう簡単にできていない。

親と子の関係を守るはずの国家が無慈悲に親と子を苦しめ、その関係性を冷酷に引き裂いているのだ。

未来に何とか希望を持とうとするリューダはコンチャロフスキー監督自身の投影だろうか。

それともソ連の過去の歴史に疲れ切ったリューダの父親のセリフこそが監督の本音だろうか。

ただ、物語の展開を見る限り、監督はロシアを含むこの世界に心から絶望してはおらず、悲劇を繰り返さないための想像力の種を蒔こうとしているように思える。

それほどにこの映画は当時のソ連の病的な体質を内部から生々しく経験できる緊迫感に満ちた稀有な作品だ。

今のロシア軍による蛮行もいずれ映画化されるかもしれないが、何度も同じような悲劇を繰り返しながらそれをその都度映画化したとしても、それは人類の進歩でも何でもないだろう。

問いを投げかけるようなこの映画のラストシーンを見て、自分を含む監督よりもっと若い人たちはこれからこの世界をどのように作っていきたいと思うだろうか。

 

©Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020