韓国の名匠ホン・サンスの26本目となる新作は、85分と短めの尺にある女性のたった一日の何気ない出来事が詰め込まれた物語だ。
それでいて、物足りなさとは皆無の味わい深さと感動の余韻。
まさに名匠の達人の域、といった感慨を抱かざるを得ない。
最初から最後までスクリーンを独占する主人公を演じるのは、監督とは初タッグとなるベテラン女優イ・ヘヨン。
劇中で彼女が扮するのは元女優サンオクだ。
長年暮らしていたアメリカから韓国に帰国したばかりのサンオクは、遠い過去を辿り、近い未来を夢見た後、おもむろに現在について語り始める。
サンオクが会うことになる人物は大きく分けると4人。
実の妹、妹の息子、幼い頃住んだ家の現在の使用者、映画監督だ。
会う人々と軽やかに会話を楽しむサンオクは少し謎めいていて、何かを隠しているような雰囲気を漂わせている。
イ・ヘヨンは彼女が抱える秘密の存在を抑制的な演技で、しかも雄弁に表現する。
その存在感に引きずり込まれるようにだんだん目が離せなくなっていくから凄い。
気をてらった演出や過剰な感情表現を使用することなく、これだけ一人の女優の表現力が遺憾無く発揮されているという事実。
それはどこまでがその女優自身の卓越した演技力のなせる技で、どこからが監督の名演出によるものだろう。
その境界線を考えてもどうせ答えが出ないから無駄だと思えてしまうほどに、今回のイ・ヘヨン×ホン・サンスの化学反応は特級品だ。
当のイ・ヘヨンは「演技をしながらこれまで感じたことのなかった自由を感じた」とそのインタビューで語る。
劇中のサンオクが心の自由や平穏を希求する人物であるだけに、そんな彼女を演じたイ・ヘヨンのこの言葉には確かな重みがある。
ままならない人生に対して誠実に向き合おうとする一人の女性。
おそらくはそんな彼女に対して誰しもが深い本物の共感を呼び覚ますだろう。
それでも現実から皮肉を完全に取り除くことはできず、「そんな皮肉な現実こそが人生そのもの」と笑いすら込み上げてくるような感情の領域。
人生を綺麗事で終わらせないホン・サンス監督のそんなスタンスにこそ、リアルな美しさや感動を覚えてしまうから何とも不思議だ。
名匠の人生観を一度是非とも詳しく覗いてみたい。
そんな気持ちにさせてくれる1本だ。
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