雪山の山荘の外に横たわる男の死体。
第一発見者は視覚障害のある息子。
夫を転落死させたとして殺人容疑がかかったのはベストセラー作家である妻。
これだけでサスペンス映画として十分に成り立つ要素を含んだこの映画。
しかし、本作で長編4本目となるジュスティーヌ・トリエ監督が伝えたいテーマは犯人捜しとは別にある。
夫は事故死なのか、自殺なのか、妻による他殺なのか、もちろん真実の究明に向けて映画自体はたゆまず進んでいく。
中盤以降はフランスの刑事裁判での法廷闘争の描写がほとんどを占め、あらゆる情報や疑念が一つずつ取り上げられては、観る者を驚かせ戸惑わせる。
しかし、映画はどんでん返しのサプライズや布石の回収によるカタルシスを目指さない。
ある一つの悲劇を契機に新しい情報や疑念にぶつかる度に登場人物たちの心の内に湧き上がる想いや感情。
それらは観る者自身の心の揺らぎにも重なるはずだ。
そして夫婦や家族の関係性。
トリエ監督がこの映画でつまびらかにしたかったものは、おそらくはそのような様々な想い、感情、関係性そのものだろう。
「落下の解剖学」。この秀逸なタイトルが示すとおり、まさにこの映画は人間の内面を一つずつ細かく解剖して分解してみせる。
トリエ監督は、映画の中で「落下」というモチーフを多用したと語る。
それは階段から落ちてきたボールを犬が咥えるシーンだったり、山荘の階段を人が上り下りするシーンだったりする。
大きく捉えるならば、この映画自体も夫婦関係の転落を描いた作品だ。
そして周囲の関係者たちも刑事裁判の中で深まる疑念という穴に否応なく落ちていく。
視覚障害を持ちながらも11歳という幼さで刑事裁判の証人になることを強いられた息子。
真っ白な雪のような純粋さを垣間見せる彼でさえも、ぱっくりと口を開けた疑念の穴から完全に逃れることは難しい。
唯一例外と言えそうなのは、彼が可愛がっているおとなしい愛犬のスヌープくらいだ。
全てを知っているかのような眼差しを浮かべて静かに佇むその姿。
それは愛情、疑念、不安といったあらゆる感情に囚われて右往左往する人間とは一線を画しているようで、堂に入っている。
トリエ監督も当て書きしたと公言しているが、容疑者である妻役を主演するのがサンドラ・ヒューラー。
作家としての自我・自立性、母としての愛、夫婦関係における立場、あらゆる側面を見事に演じ、複雑で多面的な人物像を見事に体現した。
彼女なくしてはこの映画の魅力は大きく損なわれたかもしれない。
夫の死についての真相以上に、彼女という一人の人間(あるいは夫婦)の複雑性や難解性に観客は容赦なく引き込まれていくだろう。
それは「そもそも視覚障害のない人々にとってさえも、他人について本当に見えている部分は限りなく少ないのではないか」とさえ思えてくるほどだ。
この点、映画は、愛する母親に殺人容疑がかかってしまった息子がその心で何を見ようとするのかにまで踏み込んでいく。
そして、それは他人の全てまでは認識・理解し得ない私たち人間が抱える問題に対するトリエ監督なりの一つの答えのように思えた。
緊迫感のある法廷シーンもそれ自体が映画の長い見せ場を構成している。
トリエ監督は刑事事件専門弁護士から貴重なアドバイスを受けたらしく、おそらく日本ではあまり見慣れないフランスの刑事裁判の独特な躍動感をリアルに描いてみせた。
純粋な法廷モノとしても楽しめるほどの精緻な裁判描写があるからこそ、映画のテーマが自然と心に染み入ってくるのだ。
既に本国フランスで大ヒットし、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞、アカデミー賞には5部門ものノミネートを果たしている本作。
その快挙も十分に納得できる、重厚かつ没入感の高い傑作だ。
映画館では「他者理解」という底なしの穴への落下体験があなたを待っている。
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