いかにも荒々しい水牛のアップの写真に「暴走牛VS1000人の狂人」と大きく記されたポスター。
しかも、その勢いとどまるところを知らないインド映画だ。
これだけで十分に尋常ではない雰囲気を醸し出しているのだが、またタイトルの語感が何ともいい。
ジャッリカットゥ。
何て容赦のない由々しい響き。
実際は単にインド南部の牛追い祭りを意味する言葉なのだが、偶然にもこの言葉の語感はパニック状態が爆発的に拡大していくこの映画の中身にぴったりマッチする。
さて、映画の中身にほとんど何も触れていないので簡単に説明すると、これは「脱走して暴れ回る水牛を村人たちが捕まえようとする話」だ。
このようにストーリーを説明するといたってシンプルなものになるが、水牛が暴れて破壊していく様々なものはそこまでシンプルでもない。
この映画、水牛と人間たちの勝負といった側面はそこまで重要ではなく、さして大きな比重をもって描かれてはいない。
水牛が暴れ回る中で見事に露呈するのは、人間たちのこじれた関係性、危険な大衆心理、人間自身が持つ獣性。
水牛はまるで人間のメッキを剥がすために暴走しているかのようだ。
その意味では、水牛はメタファーであり、もしかしたら嵐や地震といった天災でも良かったのかもしれない。
それが戦争であれば、もっと人々のメッキは剝がれていっただろう。
だが、この映画では「村の水牛」なのだ。
「村の水牛」1匹に人間が振り回されて、どのように変わり果てていくか。
初めは村人の視点で水牛を捕まえようと一緒に躍起になるような気分で観るのもいいが、あなたはきっとどこかの時点で村人たちを俯瞰してしまうだろう。
監督は暴れ回る水牛一匹の存在を通して、人間の存在意義や本性に鋭く深く迫ることに成功した。
水牛と人間と、この監督の洞察力、果たして本当に怖いのはどれだろう。
『ジャッリカットゥ 牛の怒り』
■監督:リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ
■脚本:S.ハリーシュ
■出演:アントニ・ヴァルギース、チェンバン・ヴィノード・ジョーズ、サーブモーン・アブドゥサマド
■配給:ダゲレオ出版(イメージフォーラム・フィルム・シリーズ)
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