2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は世界に衝撃を与え、今なお収束の目処は立っていない。
侵攻2日前にプーチン大統領が一方的にその独立を承認した「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」。
その2つの国家が存在する地域が、この映画のタイトルにもなっているドンバス地方だ。
ドンバス地方は2014年に親ロシア派勢力による反乱により実効支配され、一方的にウクライナからの独立を宣言した。
その後、この地方は親ロシア勢力とウクライナ軍との間で内戦状態となり、ロシア系住民とウクライナ系住民との溝は深まる一方で埋まっていない。
この映画は、そんなドンバス地方における政治工作や情報戦、人々の生活、警察の腐敗などを実話を元に描いた2018年の作品だ。
監督を務めるセルゲイ・ロズニツァはウクライナ出身ながらロシアで映画を学んだ経歴を持つ。
今回のウクライナへ侵攻に関してプーチンを激しく批判しつつ、一方でロシア映画の排斥に踏み切ったウクライナの映画アカデミーを批判して除名処分を受けるなどしている。
おそらくはコスモポリタン(世界主義者)に位置付けられるロズニツァ監督の視点は、この映画がウクライナ寄りの単純なプロパガンダ映画に成り下がることを拒否している。
ダークな視点から風刺たっぷりに描かれるドンバス地方のいくつものエピソードは、これが全て創作によるものであれば笑えるのだが、どれも当時の現実を元に構成されたものだ。
そして、その延長戦上に現在のウクライナ侵攻があるということに思い至ると、そこからはもはや笑い事では済まされないリアリティと生々しさをひしひしと感じざるを得ない。
その意味で、2018年に制作されたこの映画は、歴史の流れの中で現在また新たな価値を付与されたと言ってもいいかもしれない。
ロシアによるウクライナ侵攻自体は世界中で報道され、日本でも広く注目を集め話題を呼んだ。
おそらくは中東やアフリカにおける紛争以上に。
しかし、ロシアが今回の侵攻の理由に使用したドンバス地方の紛争について詳しく正確に伝えるニュースは依然としてそこまで多くないように思える。
少なくともこの映画で描かれているような、観る前は想像もつかないほどにこじれて混迷を極めるドンバス地方の実情について、具体的なイメージが湧くほどの情報を日本のニュースのみから知ることは至難だろう。
島国である日本において、その中のある地域が隣国に与する勢力により実効支配され独立を宣言するなどという事態を想像することは極めて困難だ。
そうであれば、その「独立国」の国民保護を理由に実際に他国が侵攻してくるという事態に至っては、さらに想像を超えた話というほかない。
ロシアによるウクライナ侵攻の目的が自国の領土拡大にあるとしても、侵攻の口実として利用されたドンバス地方の状況を2018年に制作された映画により認識し、また想像することには大きな意義がある。
特に台湾と中国を東の隣国に持つ日本としては、この映画が提供する現実を遠い異国での関係ない話として切り捨てることは躊躇される。
映画で描かれるエピソードの数は13にも及ぶ。
ロシアとウクライナの摩擦がドンバス地方の人々の日常にどような影響を与えてきたのか。
その安定とはかけ離れた日常が固定化された中で人々はどのように生活してきたのか。
文字どおり今観るべき映画とはこの映画のことだろう。
©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE