【レビュー】一つの身体を引き裂く複数の意識―衝撃のSFバイオレンス作『ポゼッサー』




他人の精神に潜り込んでその他人を操り別の人間を殺める暗殺者の物語、と聞くと、近未来的でスタイリッシュなSFアクションを想像するだろうか。

ところがこの映画、そんな非日常的スリルを他人事として楽しめるような生易しい代物ではない。

目に焼き付けるには覚悟がいるという意味では観る人を選ぶかもしれない。

その激しいバイオレンス描写と物語に込められたメッセージはどちらも観る者をゾッとさせる。

ある朝目覚めた時、昨夜見た夢が紛れもない悪夢だったのに、興奮冷めやらないままその夢を反芻して楽しんでいる自分に気付いてしまう、そんな経験をしたことはないだろうか。

この映画はそんな類の悪夢に近いかもしれない。

心が洗われるような感動とは全く別のアプローチだが、確かにこちらの心を鷲掴みにしてくる。

そんな強烈な本作品の監督を務めたのはブランドン・クローネンバーグ『裸のランチ』『クラッシュ』などの傑作カルト映画で知られるデヴィッド・クローネンバーグの息子だ。

鬼才の息子として父親と同じ映画の道に進むことには、他人からは計り知れない悪夢のような側面があるのだろうか。

特に映画の終盤の展開は、異能の遺伝子を確実に継ぎながら、そこからもがくようにまた自らの作家性を発揮しようとする監督のグロテスクな脱皮を見せられているようにも感じた。

物語には見たこともないSF的な乗り物や機械が登場したりはしないが、その世界設定は完全にSF的なディストピアだ。

一見普通の妻であり母である主人公のタシャだが、その正体は特殊なデバイスを使って第三者の脳に入り込み、同人を支配・操作して間接的にターゲットを殺害する凄腕のアサシンだった。

彼女は、夫や息子との関係に少し溝を感じており、また暗殺の仕事の場面でも次第に精神に不調をきたし始め、脳を支配した人間からスムーズに離脱できなくなるハプニングに見舞われる。

そんな中、彼女はあるミッションで意識を支配した男を完全に制御することに失敗し、2人の間で同じ身体を共有しながら命をかけた激しい攻防が繰り広げられていく。

CGを一才使わないバイオレンス描写が生々しく衝撃的で、観ている者にもその暴力を追体験させることを意図したかのようだ。

あたかも他人の身体を通して殺人の感触を直に味わうタシャの立場に少しでも近づかせようとするかのように。

クローネンバーグ監督は、ある日、まるで自分が自分でないような感覚に襲われて、自身の人格を再創造する必要に迫られたという経験にインスパイアされて本作を製作したという。

自分が抱えるストレスや深層心理が精神に変調をきたした結果の悲劇として片づけてしまうと、本作は単に救いのない物語になってしまうかもしれない。

だが精神を蝕んでいった原因について考察すると、この映画はハードなバイオレンス描写による戦慄はまた違った種類の戦慄を提供してくれる。

劇中には様々な示唆や暗喩が散りばめられている。

タシャが本来の自分であるのに家庭での会話の予行演習をしていること。

ターゲットの性別による殺し方の相違。

支配している肉体から離脱する際に口に拳銃を咥えることが象徴するもの。

他人の身体を通して行われるセックス。

これらの要素を拾い集めたうえで衝撃的なラストとエピローグについて考察した時、拳銃で頭を撃たれて視界が一瞬で暗闇になるのとは全く別の、その後もずっと尾を引くような恐ろしさと不安感に包まれる。

悪夢のような映画といってもゾクゾクさせるスリルや不安感を与えてくれるそのセンスは一級品だ。

あとは自分がこの戦慄の物語に完全に支配されてしまうのか、その力に抗って本来の自分を再確認することができるのか。

覚悟と期待をもって、この映画の「精神」に飛び込んでみてほしい。