【インタビュー】東出昌大、映画『コーポ・ア・コーポ』は、「出会うべくして出会えた方がいたらでいい」




俳優の東出昌大が、安アパート・コーポに暮らす訳あり住人たちの人間模様を温かな眼差しで描く映画『コーポ・ア・コーポ』に出演した。しぶとく生きる人間の底力を描いた群像ドラマは、今読むべきと話題の漫画が原作であり、東出のほか、主人公・辰巳ユリ役の馬場ふみかをはじめ、倉悠貴、笹野高史など演技派が新たな命を与えた。東出に本作の魅力を聞く。

―映画『コーポ・ア・コーポ』は、その原作のテーマ性が今の時代に合っていることでも注目されていると思いますが、最初に台本を読まれた時はいかがでしたでしょうか?

最後の笹野さんの<とあるセリフ>が、僕は個人的にいいなと思ったんです。最後にこのセリフが来るってことは、そういう映画なのかと。本当に僕のではなく笹野さんのセリフなのですが、それで決めましたね(笑)。

―そのセリフや帯びているメッセージ性を、新たに映画を観る方に伝えたかったということもあるのでしょうか?

実は言葉でそういうことを言うとこの作品の魅力が半減しそうな気もしつつこういう宣伝をしているので、非常に二律背反的な感じではあるのですが、「おすすめです」「何か学びがあります」ということではなく、「そんなに売れなくても」というくらいがこの映画の表現にぴったりかなと。

「ものすごくいい映画」「感動のストーリーではないですよ」という感じで、出会うべくして出会えた方がいるなら、もうそれでいいかなと思うんです。この映画を必要としている方には届くものがある、そんな感じです。

―今回演じられた中条紘は、住人のひとりであり、いわゆる“ヒモ”として生きる、昔の言葉で言うニヒルな色男でした。

今回の中条を演じる上での面白さ、難しさは、たとえば女の子とお好み焼きを食べながら女の子の悩みを聞いているようでいて、女の子をその気にさせるところにもありました。台本ではAとBという人間がいて詳しい説明はなかったのですが、このシーンは感情の引き出しをちょっとずつ使わないとお互い成立しないシーンだったので、演じていて楽しかったです。

―いわゆる“ヒモ”らしさって、確かに言葉では説明しにくい表現ですよね。

常日頃からリアリティとはなんぞ、と思っているのですが、たとえば暗い話を暗い顔でする人はあんまりいないなと僕は思っていて、辛い話でもつい虚勢を張り、笑顔になったりするのが人間だと思うんです。だから中条が彼女に自分の想いを吐露するところもあんまり湿っぽくならず、あっけらかんと話そうとするのですが、ユリ(馬場ふみか)もそうなので、あのふたりの距離感は人間らしくて好きだなと思いました。

―ダメな男ではありますが、どこか共感する部分もありましたか?

彼は「這い上がりたいね」と言っているから、自分が腐ってるクズだということもわかっているんです。かと言ってその臭いものに蓋をしてまた競争社会の中で人を騙して蹴落とす高給取りになって、分かりやすく人からからパッと見て裕福と思われる生活を送るのではない。元々の家柄や頭の良さからしたら中条はそういうことができるタイプだと思うのですが、「這い上がりたいね」と言いながらも生きるって何だろうと、今いる掃き溜めみたいなところで考えてるので、非常に人間らしいなと思いました。

―そういう訳あり住人たちのしぶとき生きる姿を描く群像ライフストーリーに、もしかしたら救われる人もいるかも知れず、人のためになるかも知れない。

だとしたら嬉しいです。人のためになることは、誰しもしたいと思いますよね。その意味では役者って塩梅がいい仕事で、多くの人たちが作りたいと思うものが映画で、実際に多くの人たちが携わるから映画が出来るわけだし、多くの人たちが作りたいと思うところには、ちょっとした優しさや暖かさがあるから、そう言ったものになっていくと思うんです。だから直接的ではないけれど、人の役に立っている仕事だなと思えた時に、いい仕事だなと思うことはあります。

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