【レビュー】山奥で狂気を増幅させていく少年少女たち―南米コロンビアの異才が放つ怪作『MONOS 猿と呼ばれし者たち』




内戦の傷がいまなお色濃く残る南米コロンビアから届けられた1つの才能が今世界中で話題を集めている。

新鋭アレハンドロ・ランデス監督が手がけたこの映画は、あえて国名や組織名こそ明らかにしないものの、コロンビアに実在したゲリラ組織の少年兵たちをモデルとした異様なバイオレンスドラマだ。


舞台は社会から隔てられた山岳地帯の奥地。

ゲリラの下部組織としてコードネーム“モノス(猿)”を構成する8人の少年少女たち。

本部の命令に従って人質の監視や日々の訓練、日課をこなす彼らは、純粋に遊びや恋愛に興じるなど、思春期の子供らしい開放的な一面も持ち合わせていた。

ところが彼らのそんな日常もある日を境に急変する。

メンバーの一人がある仕事上のミスを犯してしまったことを契機に、その関係性の歯車が狂い始めたのだ。

こうして、まだ大人になり切れていない少年少女だからこそ、内なる狂気が加速度的に純粋培養されていくことになる。

少年少女と外の世界との繋がりは、ほぼないと言っていいい。

あるとしたら2つだけ、それは伝令を伝えに定期的に訪れる組織の男と、監視対象である人質のアメリカ人女性だ。

この彼らを調教する側の大人と、彼らが監禁している大人という2人の対極的な存在により、少年たちは自分に課された義務と正気を何とか保っていた。

そして、ついにこの2人の大人を失うことになる彼らは、凧糸が切れた凧のようになる。

と言っても凧は解放されて大空を自由にはばたくわけではない。

ジャングルの中で迷走し、凧どうしがぶつかり、絡まり合うのだ。


ミカ・レヴィによるサウンドが何とも効果的だ。不穏な空気感と森の中の閉塞感を否が応でも増幅させる。

閉じられた世界での狂気の行き着く先を描いた映画は他にもあるが、本作ほど作家性に富んだ作品も珍しい。

日本からすると異文化色の強い南米がモデルの作品だからこそ異質な映像体験になり得たのか。

それともひとえに監督のほとばしる才能の賜物か。

深いジャングルの中に魂ごと引きずり込まれるような圧巻の映像体験は、鑑賞後もなかなかその余韻が消えない。

地球の裏側から発信された驚異の才能と、見たこともないような世界観。その扉は映画館の中で開かれている。

 

『MONOS 猿と呼ばれし者たち』

■監督・脚本・製作:アレハンドロ・ランデス
■脚本:アレクシス・ドス・サントス
■出演:モイセス・アリアス、ジュリアンヌ・ニコルソン

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