皮肉すぎる笑いに身を委ねたいならこの映画で決まりだ。
現代社会に毒されすぎて疑問も持たない人であれば、もしかしたら笑いより気まずさが勝るかもしれない。
だが今の世界に少しでも違和感を覚えてる人なら、きっと声を出して笑うことを止められない。
監督はスウェーデンのリューベン・オストルンド。
過去作の『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』を観たことのある人ならお気付きだと思うが、とにかくこの監督、鋭い人間観察からの皮肉とユーモアの切れ味がとんでもない。
例えば、前作から共通しているテーマの1つとして「現代における男性のあるべき姿」という点が挙げられる。
くしくも最近日本でもある女性タレントが動画配信にて「男性が女性におごるべき3つの理由」なるものに言及し、話題になったりしていたが、本作でもレストランのお会計を巡る男女の揉め事が冒頭に描かれる。
何とこれは監督カップルの実話を基にしているという。
映画では、そのまま「美が持つ経済的価値」という大きなテーマに沿って物語が進行し、その経済的価値を確認する役目とでも言わんばかりに多数の富豪・セレブたちが登場する。
舞台は豪華客船の上、ルッキズム(外見重視主義)や富裕層の資力がこれでもかと描かれた後に、それらの価値観は突然大きく揺さぶられ、暗礁に乗り上げることになる。
そう、文字どおり船は嵐に大きく揺さぶられ、ついには難破してしまい、一同は無人島に打ち上げられるのだ。
これを機にそれまでの美しさ、お金という価値観が生命という価値観にシンプルに取って代わられ、ヒエラルキーの大逆転が起きる。
前半のフリの部分だけでも面白いのに、そのフリが効きに効きまくってるので、登場人物たちの立場や関係性が大きく変わる後半には、文字どおり船がひっくり返るようなダイナミックさがあるのだ。
有機肥料で財を成した富豪を登場させながら、嵐による揺れが原因で船中を富豪たちの吐瀉物と排泄物だらけにし、最後にはヒエラルキーの頂点に船のトイレの清掃婦を立たせる。
そんなリューベン監督の悪ノリはただの勢いではなく、他人事では済まされない現代の病理への確かな観察眼に支えられてるから凄いのだ。
その描写は、警鐘のようにも捉えることができるし、やはり単に傍観してるだけのように見えたりもする。
そうして逆転してしまった価値観やヒエラルキーは果たして固定化されたまま不変のものとしてもはや変わることはないのか。
ラストの収束に向けて監督がさらに1つギアを入れ直した時、この映画は観る者個人の心の奥に向かって駆け込むように飛び込んでくるだろう。
Fredrik Wenzel © Plattform Produktion