【レビュー】40年を経てIMAXで蘇る巨匠コッポラの不朽の傑作『地獄の黙示録 ファイナル・カット』




映画監督フランシス・フォード・コッポラ、この巨匠の偉業を3つだけ上げろと言われれば、1つ目として『ゴッドファーザー』を映画史に残したこと。

2つ目として娘ソフィア・コッポラを育てて映画界へ解き放ったこと。

そして、3つ目に『地獄の黙示録』を完成させ世に送り出したこと――と、答えたい。

本作はその公開40周年を記念して、監督自身が再編集してデジタル修復も施したファイナルカット版

一方で、音声自体は1979年公開当時のプリントマスター(最終的な完成音)を使用して理想的な臨場感を維持し、特にIMAXで訊くヘリコプター、爆撃等の重低音の迫力は凄まじいものがある。

物語は、ベトナム戦争真っ只中の1960年代後半のベトナム。

ウィラード大尉は上層部から特殊任務の命令を受け、カンボジアの奥地で軍紀を破って独自の王国を築き上げたカーツ大佐を暗殺すべく少数の仲間と共にジャングルが広がる川をのぼっていく。

戦争の深刻さを悲壮感を込めて伝えるのではなく、その笑ってしまう程に裏返った狂気の描き方にこそ、この映画が熱狂的に受け入れられた理由があるような気がする。

幼い頃に初めて観た時に衝撃的だったのは、前半に登場するキルゴア中佐のキャラクターと存在感だった。

中佐が乗るヘリコプターには前面に「DEATH FROM ABOVE」(上空からの死)の記載があるが、これはキューブリックが傑作戦争映画『フルメタル・ジャケット』でヘルメットカバーに「BORN TO KILL」(殺すために生まれてきた)の文字を載せたように、コミカルかつ端的に狂気を表現した最高の演出

部下から慕われる快活で自信に満ち溢れた中佐は、驚くことに戦地でサーフィンをするスポットを確保したいという明確な動機の下に、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を大音量でかけながら縦列をなして飛ぶ何機ものヘリコプターでベトコンの村を一斉爆撃。

しまいにはナパーム弾で海沿いの林一帯を焼き払い、ナパーム弾特有のガソリンの匂いを「勝利の匂い」などと言いながら目を細めて満足げな気分に浸ってみせる。

この一連のシーンこそ、ここでは誰も正気ではいられない、という監督の強烈かつ明確な意図が込められた、映画への真の導入部分とも言うべき名場面だ。

当時の自分はこれに目が覚めるような驚きと興奮を覚え、その後は川をさかのぼる主人公たちの一挙手一投足に完全に没入してしまい、気付くと長い尺の時間はあっという間に過ぎて、自分も一緒にカーツ大佐のもとへ運ばれていたことを覚えている――。

狂気の地獄の中で心を麻痺させずに真に正気でいるためには、さらなる狂気を内に生み出すほかないのかもしれない・・・

ミイラ取りがミイラになるではないけれど、狂気と対決する中で自らに狂気が芽生えていくというプロットは、いわば神話や伝承で語られるような普遍性を持っており、これまで数々の映画や小説でも取り扱われてきた、その教科書というか聖書のような作品こそがこの映画『地獄の黙示録』ではないだろうか。

夜のジャングルのように暗い映画館で、最新の技術と編集で新たな命を吹き込まれた普遍的な物語にどっぷり浸る体験は何ものにも代え難い。

 

『地獄の黙示録 ファイナル・カット』 あらすじ

1960年代末、ベトナム戦争後期。再び戦場に戻ってきたアメリカ陸軍のウィラード大尉(マーティン・シーン)は、軍上層部から特殊任務を命じられる。それは、カンボジア奥地のジャングルで、軍規を無視して自らの王国を築いている、元エリート軍人のカーツ大佐(マーロン・ブランド)を暗殺せよという指令だった――。

■出演:マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、ローレンス・フィッシュバーン 他
■監督:フランシス・フォード・コッポラ
■脚本:ジョン・ミリアス、フランシス・フォード・コッポラ
■配給:KADOKAWA

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