【レビュー】アニメ映画の枠を超えて、今を生きるすべての人に伝えたいこと―『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』




3年前に公開されるやいなや、瞬く間に絶賛の口コミが広がり国内外で多数の映画賞にも輝いた『この世界の片隅に』が、30分の追加シーンを加えた長尺バージョンで帰ってきた。

よくある”編集別バージョン”の類ではなく、監督の明確な意図の下に再制作された本作は確かに前作とは別物。

女優・のんが声優を演じる主人公のすずと、あるキャラクターとの交流をさらに掘り下げて描かれていて、すず本人の葛藤や人間味、他者との共感・共生というテーマがより色濃く伝わってくる。

アニメだからこそできる新規性ある表現手法を取り入れつつ、従来のアニメの限界を超えるような驚異の感動をもたらす稀有な作品になっているので、とにかく前作を見ていない人はもちろん、既に見た人も本作を見てみてほしい。

日本がまさに戦争に突入しようとする時代、広島市内に生まれ呉に嫁ぐことになった少女すずの厳しくもささやかな喜びに溢れた日常と、それを否応なしに包み込んでいく戦争。

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

絵を描くことが好きで普段はボーっとしているどこか抜けた心優しい少女から、戦争はそんな時間を必然的に奪い、それでも少女は心優しさだけは内に留め続ける。

まず、これ程細かく戦時下の日常生活を描いてみせた映画がかつてあっただろうか、と思わせるほどの生活感。買い物、炊事、繕い物、掃除、ささやかな日常の一コマの中に戦争は分かりやすい空襲だけでなくあらゆる形を帯びてその暗い影を落としてくる。

普通の女の子が普通であることを許さない状況のリアリティ。

この映画の凄いところは、悲惨な戦闘場面や帰らぬ人を嘆く悲劇の場面を前面に押し出すのではなく、それらすらも日常に埋没させて生き続けるしかない現実や、普通が普通でなくなることの怖さと悲しさを奇をてらった派手さではなく丹念にむしろ地味に描き切っているところ

そして、それでも普通でいようとした1人の人間(たまたまそれが今回は主人公すずだけど、当時こんな普通の人が数え切れないほど存在した)の行動や心の動きをあますことなく描くことで、当時の戦争経験を万人に追体験させることを可能にしている。

あの時代を生きていたほとんどの人間は、戦地での英雄でもイデオロギーを掲げる主義者でもなく、普通の平凡な日常を些細な喜びを集めて生きる普通の人間だった――これは現代でもそうだと思う。

この映画がどんな激しい内容の反戦映画よりも心を揺さぶり、それでいて主人公すずのような優しい感情が自分の中にあることを発見させてくれるのは、もはやこの作品がアニメはもちろん戦争映画という枠を超えて、他者と共生する普通の人間そのものをつまびらかに見せてくれるからかもしれない。

少し大げさに言うと、この世に生きる人間全員に共通する事情であり、端的な言葉で言えばまさに普遍性。

そんな映画を、少なくとも自分は他に思い出せない。

 

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』 あらすじ

ここではひとりぼっち、と思ってた。広島県呉に嫁いだすずは、夫・周作とその家族に囲まれて、新たな生活を始める。昭和19(1944)年、日本が戦争のただ中にあった頃だ。戦況が悪化し、生活は困難を極めるが、すずは工夫を重ね日々の暮らしを紡いでいく。ある日、迷い込んだ遊郭でリンと出会う。境遇は異なるが呉で初めて出会った同世代の女性に心通わせていくすず。しかしその中で、夫・周作とリンとのつながりを感じてしまう。昭和20(1945)年3月、軍港のあった呉は大規模な空襲に見舞われる。その日から空襲はたび重なり、すずも大切なものを失ってしまう。そして昭和20年の夏がやってくる――。

■声の出演:のん 細谷佳正 稲葉菜月 尾身美詞 小野大輔 潘めぐみ ほか
■原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
■配給:東京テアトル

公式サイト:ikutsumono-katasumini.jp

©2018こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会