【レビュー】若き代理母の妊婦を待ち受ける悪夢のような恐怖―『マザーズ』




デンマーク・スウェーデンの合作として制作されたこの映画は、全体的に画面のトーンは暗く、閉塞感が右肩上がりに増していく、まさに悪夢のようなマタニティ・ホラーだ。

マタニティ・ホラーとは、妊婦が恐怖を味わったり、逆に周囲に恐怖を与えたりするホラー映画のジャンルをいう。

古くは『ローズマリーの赤ちゃん』に始まり、『屋敷女』『マザー!』など、心身ともに不安定な状況にある妊婦を容赦なく恐怖に突き落とすマタニティ・ホラーの名作は、観る者に妊婦の身を案じさせ、その不安を倍増させていく。

本作において具体的に誰がどんな恐怖を味わうのかについてはネタバレ回避のために伏せておくとして、この映画、特に現在奥さんが子供を身籠ってる夫婦や近い将来出産を予定している夫婦にとっては、なかなかに取扱注意なシロモノとなっている。

監督は『ボーダー 二つの世界』が評価されて世界にその名を広く知られた鬼才アリ・アッバシ

彼は、同作を制作する前の2016年に長編デビュー作として本作を手がけた。

若きシングルマザーのエレナは、湖の辺りにあるルイスとカスパーの夫妻の家で住み込みの家政婦として働くことになる。

夫妻は裕福だが自給自足の生活にこだわっており、あえて家には電気も水道も通していない。

小さな息子を実家に置いた出稼ぎ中の身であるエレナは、次第に夫婦に心を許して親密になっていくが、ある日、ルイスから彼女が保存していた卵子を使って夫妻の子を代理出産してほしいと話を持ちかけられる。

エレナは、ルイスが提示した経済的な対価や夫婦に抱いていたシンパシーから、その依頼を受けることに決めた。

しかし、それは妊娠直後から始まり長期にわたって彼女を苦しめる原因不明の身体の異変や精神の激しい変調の幕開けだった。

電気が通ってない家という設定は否が応にも画面全体が暗くなるわけだが、その暗さが良い具合に恐怖をしっかりと後押しする。

その家が人里離れたような場所にあることも登場人物の少なさと相俟って中盤以降の物語の閉塞感を強める要素になっている。

実際、夫婦とエレナ以外にその家を訪問する人物は夫婦にヨガを教えマッサージを施す白髪の老人男性のみ。

しかもこの男性を演じるのは少年期に『ベニスに死す』で注目を集め、ドキュメンタリー『世界で一番美しい少年』も公開中のビョルン・アンドレセン。

極彩色ホラーの傑作『ミッドサマー』の前半で衝撃的な役も演じた彼の出演は、物語の緊張を解消して雰囲気を明るくさせるどころか、むしろさらに空気を不穏にし、どことなく悲劇的な未来すら予感させるのだ。

赤ちゃんが生まれるということは普通誰にとっても嬉しくて幸せなことだ。

それは関係者にとって感情的にも社会的にもそのはずだ。

だが、自分と異なる命が自分の体の一部を支配して育ち、外界に出てくるという事実はよく考えると恐ろしいことのようにも思えてくる。

妊娠うつという症状もあるが、この妊娠した状態を感覚的に怖いと感じる一面こそホラーの要素であり、まさにマタニティ・ホラーが生まれる土壌なのかもしれない。

互いに無邪気に打ち解けていた2人の母たちの明るい表情が中盤以降どのように変わっていくかに注目してほしい。

その誕生を歓迎されていた新しい命は、その誕生を導いた命たちに対して何を与えてくれるのか。

この映画のどこまでも暗い色と強まる一方の閉塞感。

それはまるで暗い子宮の中に閉じ込められた異物の憂鬱さを体現しているかのようだ。

 

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