1984年の監督デビュー以来、その才能を絶賛され、フランスでは「ゴダールの再来」「恐るべき子供」とも評された鬼才レオス・カラックス。
長編監督作はこれまでわずか5本と寡作家でも知られるが、その6作目に当たる貴重な最新作が絶賛公開中だ。
カラックス監督はここに来て新境地を開く。
映画は、アダム・ドライバーとマリオン・コティヤールという売れっ子2人を主演に迎え、全編ほぼ台詞は役者の生歌で届けるロック・オペラ・ミュージカルという形を取る。
監督自ら「実験映画」と言ってのけるこの新作、その実、他のどんな映画にも似ていない。
その強烈なオリジナリティは観る者をダークで皮肉な愛のおとぎ話の世界へとずるずると引きずり込んでいく。
もともとはロン&ラッセル・メイル兄弟によるバンド「スパークス」がストーリー仕立てのアルバムにする予定だった楽曲だった。
これを彼らがカンヌ映画祭で親しくなったカラックス監督に送ったことがきっかけで今回の映画化の話が進むことになった。
映画の冒頭には監督親子と一緒にスパークスが登場し、録音スタジオで演奏が開始されるとともに物語が夜の街へ飛び出す形で本編がスタートする。
これから何かが始まることを身体に直接的に伝える躍動感あるリズムと、その始まる何かが不穏なものであることを示唆する内容の歌詞。
この大胆で挑発的な映画の出だしが本当に素晴らしい。
観客は期待と不安に胸を高鳴らせつつ、覚悟をもってカラックスの世界観に飛び込むことになるのだ。
物語は、セレブ夫妻の愛憎劇とその犠牲になる娘「アネット」の誕生と成長を描いたものだ。
国際的なオペラ歌手の妻アンに対する嫉妬や猜疑心から自虐的かつ暴力的な男に堕ちていくスタンダップコメディアンの夫ヘンリー。
コメディアン、有毒な男らしさ、夫による暴力とくれば、何だか先日のアカデミー賞の騒動を連想したりもしてしまうが、もちろん何の関係もないのであしからず。
この物語が扱うのは夫婦間の結びつきとすれ違い。
全てを歌に乗せて生々しくブラックに届けられるその内容は、ズブズブと足をとられていく沼のような悲劇だ。
カラックス監督は、その名を世界に轟かせた傑作『ポンヌフの恋人』を当初ミュージカルにしようと考え、後に断念したとのこと。
監督は、ミュージカルについて、矛盾した感情を混ぜ合わせることが可能で映画を別次元のものにする、とその可能性を肯定的に捉えている。
夫婦の間に生まれる娘アネット役を人ではなく人形が演じると知った時は驚いたが、劇中での展開はさらなる衝撃を引き寄せる。
カラックス監督の確信的な演出は見事に成功している。
父と娘の関係性に関する作品であることは、冒頭にカラックス親子(父娘)が登場することでも想像できるが、ラストの物語の収束について予めイメージできる人は少ないだろう。
物語は荒波の上や暗闇の中を突き進んでいくが、観客はそれにただ身を委ねるだけでいい。
映画の冒頭で「息すらも止めて、ご覧下さい」と告げられるが、今回カラックス監督は映画自体を呼吸のメタファーとして捉えたそうだ。
生と死、笑うこと、歌うこと、子供を産むことは、息を止めることやミュージカルのリズムで息をすることと似ていると考えたらしい。
愛と喪失の物語もまた人が呼吸をするように自然に繰り広げられるとすれば、非難や理屈は一旦横に置いて、そんな物語に対する愛しさも込み上げてくるような気がしてしまう。
唯一無二のカラックス版傑作オペラ劇場。
至福の時間を映画館で堪能しよう。
『アネット』
■監督:レオス・カラックス
■原案・音楽:スパークス
■歌詞:ロン・メイル、ラッセル・メイル & LC
■キャスト:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤールほか
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