【レビュー】イランの名匠が巧みなストーリーテリングで描く人間の真の価値とは―『英雄の証明』




『別離』『ある過去の行方』『セールスマン』、手がけた作品がことごとく世界の名だたる映画賞に輝き、その才能を高く評価されているアスガー・ファルハディー監督。

名実ともにイラン映画界を牽引する存在になった名匠の新作は、SNSが発達した現代社会における人の名誉の有り様に鋭く迫った作品だ。

借金を返せない罪で服役中のラヒムは、その婚約者が偶然拾った17枚の金貨を手にする。

一時は金貨を借金の返済に充てて社会復帰することも考えた彼だったが、罪悪感から思い直し、金貨の落とし主を探してこれを返そうとする。

その善行をメディアが取り上げたことから、彼は「正直者の囚人」として一躍もてはやされるが、SNSに良くない噂が流れたことを契機に彼をめぐる状況や評判は一変していく。

昨年公開された邦画『空白』でも加害者と被害者の立場を目まぐるしく入れ替えてしまうSNSの怖さが描かれた。

この点、本作はSNSの投稿内容の描写に力点を置いてない分、ラヒムを襲う状況の変化という影響の部分の不穏さと唐突感が際立っていて、彼の戸惑いがストレートに観る者の心に響いてくる。

冒頭、ラヒムが服役の休暇中に訪れた義兄の仕事現場でひたすら足場を高く登っていくシーンがあるが、他方でその後に彼の恋人が自宅から階段を何階分か降りていくシーンがある。

このシーンの対比は、人の社会的名誉がいかに周囲の影響を受けて簡単に浮き沈みするものであるかを象徴し、ラヒムたちの未来を暗示しているようにも思えた。

この映画は、一握りの良心ですらクラウドファウンディングのようにお金に変えられる(商品化される)という現代社会の特徴を見事に切り取ってみせる。

注目を浴びた者勝ち、のような世界の中で、悩みながらも行動を選択していく主人公の思惑が外れていく様子は実にリアルだ。

そこでは少しのボタンの掛け違いが後に大きな結果に繋がっていく怖さを目の当たりにする。

それはハンドルの遊びのない車を運転しているようなもので、少しでもハンドルを動かすとどんどん車の進路が横に外れていくような感じだ。

ラヒムの息子の存在が持つ意味も大きい。

彼は、吃音の障害があり、自分の思いを上手に周囲に伝えられないのだが、父親思いの心優しい少年だ。

この少年の存在こそまさに「他意のない、不器用でささやかな良心」の象徴だろう。

息子のように吃音の障害こそないものの、服役して刑務所にいる時点で父親も人生に不器用であることには変わりない。

他方で、そんな親子を美談として持ち上げたり、逆に白い目で見たりする周囲の不特定多数の存在は、メディアやSNSが有する特徴として、多弁で器用で移り身が早い。

本来的に利他的な行動に対し、様々な立場の利己が瞬く間に群がってそれを脚色して食い物にしていく状況。

そんな状況下で、ささやかな良心すらも純粋な形で維持していくことがいかに難しいか。

そんな社会の問題に対する鋭い示唆に満ちた映画だ。

世界はかつてないほどに「不特定多数人の注目を集めることがお金に変わるということ」を疑わない時代に突入している。

もちろん日本も全く例外ではない。

注目が意味する広告宣伝効果を否定するわけではないが、饒舌さを伴って人の目や気を引こうとする行為の陰に、ぞんざいに扱われ踏み躙られる「不器用な良心」がこの世界には確かに存在する。

そんな良心に寄り添ったファルハディー監督の視点と手腕を手放しで賞賛したい。

同時に今の日本でも広く観られるべき映画がイランで作られたという事実に新鮮な驚きを隠せない。

Ⓒ2021 Memento Production – Asghar Farhadi Production – ARTE France Cinema