とんでもない日本映画が公開を迎える。
人は誰しもお気に入りの服を着たり、好きな人と一緒にいたりするとこの世界自体が心地よいものに変化したような気分を覚えるが、映画を観る体験も世界を別のものにしてしまうことがある。
変化した後の世界が単純に心地よいかどうかはさておき、映画を観た後に以前とは違う別の世界に自分が運ばれてしまったような感覚。
この作品もそんな感覚を与えるパワーを持った稀有な映画の1つだ。
監督を務めるのは、韓国のポン・ジュノ監督の下で助監督を務めていた経験もあり、自身の監督作『岬の兄妹』も広く話題を集めた日本の新たな才能、片山慎三。
本作が商業映画デビューとなるが、エンタメ要素を十分に詰め込んだとはいえ、その唯一無二のオリジナリティ・作家性は少しも失われておらず、まさに予定調和をことごとく排除した衝撃的な仕上がりとなっている。
物語の導入はシンプルだ。
どこか頼りない父親(佐藤二郎)が指名手配中の若い連続殺人犯(清水尋也)を見つけたと娘(伊東蒼)に言い残した後に行方不明になってしまう。
それまでの平穏な生活を壊された娘は苛立ちながらも父親の身を案じて懸命に探すが、見つかったのは父親の名前を騙る指名手配犯だった。
このまさにサスペンスそのものといった導入から物語は展開していくのだが、その後は予想を裏切られるというより、ほどなく予想自体つかなくなってしまうから驚きだ。
視点を変えながら描かれる事の顛末は、サスペンスというジャンルで簡単にくくることを躊躇するほどに重いテーマやモラル、親子愛を濃密に内包している。
きっと観る者は自身の感情を一つの場所に安定して留めておくことなどできないだろう。
人を殺すことに快楽を覚える者、心から死にたいと願う者。
そして、これらの者と関わることで強さと弱さ、正しさと過ちの間で揺れ動く者。
様々な立場のキャラクターを驚くべきリアリティで演じたキャストが皆素晴らしい。
監督が今回当て書きしたという佐藤二郎、彼が本来的に備え持つ滑稽さはむしろその苦悩や悲哀を際立たせる。
人間の命に何の価値も見出していない殺人鬼を演じる清水尋也の冷たく乾いた存在感。
ドラマ『全裸監督』で活躍した森田望智はそのどこか拍子抜けしたような間と圧倒的な凄みを巧みに演じ分ける。
そして、父を想う娘役の伊東蒼の天使のような純真さと暖かくて強い心の芯。
邦画史に残ると言っても過言ではないラストシーンでは、昂った感情がまるでピンポン玉のように右往左往して最終的に行き場を失うことだろう。
そうして映画が終わりその余韻が途切れない中、「さがす」というタイトルの意味が当初とは比べ物にならない重みを持っていることに気付かされる。
片山監督自身も推敲と議論を重ねて最終的なストーリーを決定するに至ったらしく、観客に衝撃を与え続けるその展開は、まさに監督が登場人物たちの選択や行動を「さがし続けて」最後に出した結論にほかならない。
行方不明になった父親を探し続けた娘が最後に見つけたものとは。
簡単に結論が出ないような重いテーマやモラルの問題についての出口や正解。
この衝撃的な映画は、観る者の心をバラバラにした後に、挑発的だが真摯な言葉を突きつけてくる。
「易きに流れずに自分自身でその答えを探し出せ」と。
『さがす』
■監督・脚本:片山慎三
■共同脚本:小寺和久 高田亮
■音楽:髙位妃楊子
■主演:佐藤二朗 伊東蒼 清水尋也 森田望智 他
©2022『さがす』製作委員会