【レビュー】全ての若者に捧げられたパオロ・ソレンティーノ監督の自伝的作品―『The Hand of God』




本作は、イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督が描く、1980年代のナポリを舞台にした10代の少年ファビエット・スキーザの成長物語だ。

ソレンティーノ監督と言えば、観る者の情緒に強く訴えかける美しいカメラアングル・壮大な映像美・効果的な音楽といったスタイルが持ち味だ。

監督の過去の代表作『イル・ディーヴォ-魔王と呼ばれた男-』『グレート・ビューティー 追憶のローマ』『グランドフィナーレ』などでもこの巧みなスタイルは作品を美しく彩る。

だが、本作は故郷ナポリにおける監督自身の少年時代を描いた自伝的作品でもあることから、これまでの作品とは異なる新しいアプローチで撮られており、そのことが作品の印象をこれまでと大きく変えている。

監督は、本作において、様式美ともいうべき従来のスタイルを封印し(少なくとも大幅にそぎ落とし)、少年のリアルな等身大の感情やストーリーそれ自体が映画の中心を占めるよう工夫した。

これは、監督がこれまで映画製作の上では正面から向き合うことのなかった自身の過去という個人的な物語を、どんなフィルターも通さずにシンプルに語ることに努めたからだという。

そもそも本作の脚本は、当初から映画用に書かれたものではなく、元は監督が自身の子供たちへの贈り物として書き始めたものだった。

出発点は、特定のスタイルや装飾を予定していない赤裸々な告白であり、それは今や時の人となった監督自身の純粋かつ素朴な帰郷(原点回帰)に近いものだったのかもしれない。

このような監督の意図的なスタイルの放棄は、見事に本作の内容とマッチしている。

映画は、少年のファビエットが様々な出来事を通して抱くことになる感情の一つ一つを自然に拾い上げることに成功している。

マラドーナのナポリ移籍に沸き上がるナポリ市民の熱狂、ファビエットの陽気な親族の面々、美しい叔母パトリッツィアの悲哀と魅力、そして両親を襲う痛ましい事故。

あらゆる人物や出来事に対峙するファビエットの感情や行動は、特定のスタイルに毒されない純粋さをとどめており、観る者は彼の少し内気なキャラクターに自然に共感することができるはずだ。

ファビエットは、心から愛する家族とマラドーナに愛情、安心、希望を抱いていたが、大きな喪失を経験して絶望し、それでも「映画」への出会いを通して前へ進もうとする。

周りの人々はそんな彼を心配してその背中を自分なりに押してあげようとするが、その人によって異なるいくつかの優しさには思わず胸を締め付けられる。

ソレンティーノ監督は、まだ長い人生が眼前に開けている若者にこそ是非この映画を観てほしい、と語る。

監督が少年の頃に確かに抱いた性への欲望や好奇心、家族に対する愛情、喪失がもたらず絶望と無気力。

「映画が描くその全てを見たうえで、少しでも何かに共感して自身の痛みを和らげることができたら焦らず前に進んでほしい」

この映画を通して監督はそんな風に語りかけているようだ。

一方で、ソレンティーノ監督自身も忘れることのできない少年時代の傷を本作を作ることで癒したかったのかもしれない。

そうだとすると、本作は、過去の自分、もしくは未だに自分の中にいる少年に対する監督自身からのメッセージでもある。

「バカじゃない 若いんだ」
「壊れてはいけない」 

劇中でこんな2つのセリフが違う場面でファビエットに向けられるが、今のソレンティーノ監督が昔の自分に言いたかった言葉のように思えてならなかった。

 

■Netflx映画『The Hand of God』12月15日(水)より独占配信開始