【インタビュー】津田寛治、「『さよなら ほやマン』は、オファーを断ったほど感銘した」 デビューから30年、俳優業への想いも




数々の映画・ドラマで活躍する俳優の津田寛治が、とある家族の再生を描いた『さよなら ほやマン』に出演した。自然豊かな美しい島で生きる青年たちと都会から来たワケありの女性が出会い、自分の人生を取り戻そうと“もがく勇気”を描く。当初はオファーを断ったという津田に話を聞いた。

―今回の『さよなら ほやマン』ですが、最初にオファーが来た際はいかがでしたか?

これは役者あるあるかも知れないのですが、読み進めている時に本当に何度も涙腺が壊れてしまうほどいい台本だったので、だからこそ僕が演じた漁師の役は、違う人が演じたほうがいいだろうと思ったんです。それで監督に想いだけお伝えしたところ、どうにかスケジュールの都合をつけるので出てほしいということになり、それで腹をくくって参加したんです。

―そこまでして泣かれた理由は何だったのでしょうか?

やはり主人公兄弟の生き様ですよね。だいたい対象となる人物が悲しい時って涙は出ないものですが、この兄弟はとにかく一生懸命で、自分たちが悲惨で大変な状況にあることにあまり気付いてもいない。なのに懸命に頑張っている姿を見ていると、泣けてしまう。典型ではありますよね。必死に生きていてトラウマもあり、その乗り越え方にグッと来ました。

―おっしゃるように登場人物がとても生命力にあふれ、魅力的でした。

春子おばあちゃん(松金よね子)と主人公のアキラ(アフロ)の関係性も良かったですね。これは言ってみれば、ラブシーンのようなもの。ふたりで布団にゴロンと転がり、お互いの夢を語り合う。あれだけ歳が離れていても夢を語れるのかと思ったら、そこでも泣けて来てしまって(苦笑)。おばあちゃんにも夢があるぞと。まだ人生終わりではなく、これからやるのだという想いが伝わって来ましたね。

―今回の『さよなら ほやマン』、どういう方に観てほしいでしょうか?

この『さよなら ほやマン』は、いわゆる震災を描いた映画とは視点が異なると思うのですが、震災の傷が癒えていない方は多いだろうと思いますし、震災に限らず今の日本で疲弊している方、傷付かれている方にも観てほしいなと思います。

―ところで、最初は出ないつもりが、映画が完成した今、出てみていかがでしたか?

得るものがたくさんありました。個人としての収穫はたくさんあり、幸せでした。若い頃から俳優をやり、ある程度の歳になると、自分が楽しければいいのかという想いに突き当たる。やれば幸せになるのは分かっているのですが、それが作品にとっていいのかどうかも考える。世に伝わり、いろいろな人の心を動かせる場合、適役がいれば僕でなくてもいいわけで。

―作品中心に物事を捉えているということですよね。いつくらいからそのような考え方になったのですか?

50歳半ばか前半くらいですかね。それまで芝居もどこかルーティンみたいになっていて、現場に重宝される芝居をやっている自分に気付いたんですね。こうすれば現場はスムーズ、いい流れになるだろうと考えていて、そうじゃないことにある時気付いたんです。俳優は、物語の中に入り込まないといけないことに気付いたんですよ。

―単に仕事としてこなしていた、ということですね。

ベテランさんだからNG少ないよね、台本通りやってくれるよねって、本当によく言われたんですよ(笑)。でもこれって、真の褒め言葉ではないわけですよね。むしろNGは何回も出していいから、物語の中の登場人物になるということを考えなくちゃいけないと気付いた時に、それって自分が芝居を始めた18歳の時にやっていたことだなと気付くんです。

―ちょうど津田さんの映画デビュー作の『ソナチネ』から30年ですが、まわりまわって初心に戻って来たような感覚ですね。

駆け出しの頃って何の武器も持たずにやれることと言ったら、その物語に入ることしか出来なかったわけです。その当時自分がやっていた芝居こそ、今自分が目指していた芝居だということ。これに気付いてからは、方向性が分かっているので、どんな規模の作品に出ても楽しいんです。自分自身が役者として評価されることだけを考えてやっているのであれば、本当につまらなくなるなと思います。なぜなら本来、僕たちは作品が評価されるためにやっているわけで。30年経って戻って来た感じですね(笑)。

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