【レビュー】世界の命運を背負ってマルチバースに振り回され続ける中年女性の長い1日――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』




マーベル映画をはじめとする最近の流行に乗ったマルチバース(多元宇宙)映画の類か、などと安易に侮るなかれ。

確かにその設定はあまりに想像の斜め上をいっている。

画面を絶えず覆うのは、怒涛の情報量と真剣なまでのバカらしさ、そして息もつかせない面白さだ。

しかし、マルチバースの世界観を単なる枠組みで終わらせないのがこの映画の凄いところ。

このはちゃめちゃなSFカンフー映画は、あらゆる世界線をなぞりつつカオスに正面から突っ込むように見えながら、いつの間にか見事に哲学の境地に辿り着く。

物語はひたすら加速し、膨張していくのに、決して星の数ほどあるマルチバースにとりとめもなく霧散していったりはしない。

映画は後半から何かを確かに手繰り寄せ始めるのだ。

そんな予兆が次第に確信に変わっていく時、笑いながらも同時に感動して涙が溢れそうになるという自分の不思議な心の状態に気づいた。

それはある意味で「同時にいろんな場所に存在する」というこの映画の世界観にもどこか似ていた。

今の自分ではない何者かを通して、何者でもない自分を知ること。自分と特定の他者との関係性の本質に気づくこと。

例えば、映画を観たり本を読むことは、一度きりの人生の中で自分とは別の人間の人生をバーチャルに経験するということかもしれない。

そんな映画や本の中にも「別の人生」を題材にすることで深淵なテーマを追求した名作が存在する。

延々と繰り返される同じ1日の中であらゆる可能性を試そうとした男の物語を描いたコメディ映画『恋はデジャブ』

現在と未来を同時に知覚してしまうことになった主人公の悲哀と勇気・信念を描いたSF映画『メッセージ』

100万回も死んではまた生きた一匹の猫の生涯を描いた絵本『100万回生きたねこ』

どれも現実にはあり得ないような設定に思い至った発想力に、主人公の心境への豊かな想像力が加わって、観客や読み手は当初思ってもみなかった感動の境地にまで運ばれていく。

その物語の力は、今目の前にある現実自体をそれまでとは違った見方で見てしまうほどに、強力だ。

そして、本作も「別の人生」を題材にして強力な物語の力を発揮する傑作たちの系譜に連なるものだ。

一見流行りモノにすぎないかのようなマルチバースの枠組みを使って、これほどまでに鮮やかに現実世界についての哲学を魅せてくれるなんて、もうかっこよすぎるのだ。

もちろんミシェル・ヨーが唐突に繰り出すカンフー自体もかっこいいのだが、この映画を貫く信念こそが何よりもかっこいい。

「仏作って魂入れず」とか「画竜点睛を欠く」ということわざもあるが、喩えるなら、この映画は、仏様のように壮大で神秘な世界観を構築したうえで、潔さを感じるほど豪快に「魂」をぶち込んでくる。

竜が暴れ続けるような派手さと勢いで圧倒しながら、最後にインパクト大の鋭い「眼」を竜に授ける(実際に出てくる〝眼〟はもっとカワイイのだけど)。

監督コンビのダニエルズは、怪作『スイス・アーミー・マン』では、死体から出る腐ったガスの屁の勢いを動力にして主人公をボートのように海を渡らせたりしたが(今こう書いてて頭が変になったと思われそうなので、未見の人は是非作品を観てほしい!笑)、そのぶっ飛んだ発想力、縦横無尽に披露される小ネタと想像力は、本作でさらにスケールアップしている。

というか、もはややりたい放題。

監督のやりたいことは一つの世界線だと全然足りないとでも言わんばかりの、パーティー状態。

そんな前半からアクセル全開のアップテンポで爆走する物語が、後半はどこにどんな形で到達するのか。

当然ながら物理的にも時間的にも制限だらけの人生を送る全ての人々にとって、一瞬を無限に生きるということは一体どういうことなんだろう。

この映画はそんな問いに対し、真剣にバカ丸出しで、愛しくも果敢に、正面から答えようとする。だから最高にカッコいいのだ。

 

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