【レビュー】古田新太×松坂桃李 正義を理由とした暴力と、喪失の本質―『空白』




『ヒメアノ~ル』『愛しのアイリーン』などの衝撃的な作品で知られる𠮷田恵輔監督。

オリジナル脚本で挑んだ新作もまた観客に息つく暇も与えないような衝撃作だ。

スーパー店長から万引きを疑われて追いかけれた末に不幸にも交通事故死してしまった女子中学生、その父親役に古田新太。

若い店長役に最近映画界での活躍も著しい松坂桃李。

漁師を生業とする無骨な父親は、生前娘にあまり関心を示さなかったものの、せめて娘の万引きの嫌疑を晴らそうと、店長を責任追及してひたすら追い込んでいく。

そんな古田の見事な怪演ぶりと、その圧力にじわじわと心が壊れていく若い店長演じる松坂の苦悩の表現、この2つが中心的な動力となって本作を引っ張っていく形だ。

昨今のインターネットの炎上のように大勢の第三者の圧力も相まって加害者が一瞬にして被害者になってしまうような社会の危険性、映画はこれをリアルにあぶり出す。

その一方で喪失というもの本質を見事に描いた作品でもある。

娘を失った父親と、犯罪を正そうとした店長は、取り返しのつかない1つの事故を契機に壮絶な関係性に立つこととなる。

両者間の関係は攻防戦というものではなく、一方的に父親が店長を追い詰めるというもので、そこには一切の寛容さもない。

この父親なりの正義に基づく不寛容さを餌にマスコミが群がり、さらに情報の受け手である不特定多数の部外者である第三者が群がり、店長への攻撃はますます熾烈を極めていく。

唯一、ボランティア活動にも精を出しているスーパーの女性従業員が店長の肩を持つが、彼女の「正義」ですら店長の傷を癒すことはない。

そして、この生き地獄のような状況は延々と続き全く出口が見えない。

俯瞰して見ると、加害者、被害者、部外者までもが全員まるで操り人形のように自らに課された役割のダンスだけを踊っているかのようにも見えてくる。

決して薄まらない罪の意識、どうしても相手を赦せない心、周囲から糾弾される社会的存在ということの意味、自業自得・自己責任という言葉の危険性。

ただ、どんな感情・思考や行動をもってしても、失われた者だけは二度と戻らない。

喪失とは空白そのものであり、空白を埋めようとどんなことをしても本質的にその穴は埋まることはない。

監督は、喪失という穴にあらゆるものを投げ込み、他者を突き落とし、あるいは自らも飛び込んでみせる登場人物たちの行為をつぶさに描きながらも、喪失の穴がいつまでも穴でしかないことを気付かせてくれる。

ただ、その穴の傍らで、ふと心か緩解するような人との出会い・言葉や偶然もある。

監督が、正義の暴力性・危険性や喪失の本質、無力感を伝えようとする中で、そのような人や偶然を描き留めた点に、人が再生していくための小さな光を見たような気がした。

 

『空白』

■出演:古田新太 松坂桃李 田畑智子 藤原季節 趣里 他
■監督・脚本:𠮷田恵輔
■音楽:世武裕子
■配給:スターサンズ/KADOKAWA

Ⓒ2021『空白』製作委員会