「好きな人と好きなことだけして生きていきたい」
誰しもそんなふうに思ったことが一度はあるのでは?
「好きなモノがこんなにも互いにぴったり合うなんて」
趣味嗜好が共通するそんな相手と出会ってしまった経験は?
この映画は、恋人と宝物のような時間を共有したことのある全ての人、またそんな相手と出会うことを望む全ての人の心を揺さぶるだろう。
2人の運命的な出会いとかけがえのない日常をたっぷりと描いていて、ささやかなその華やかさ・愛しさはたしかに花束のようだ。
花束の1本1本の花が美しい個性を持つように、本作を鮮やかに彩るのは2人が共有する様々なカルチャーだ。
舞台、映画、本、音楽、偶然出逢った2人はいろんなポップカルチャーの話に文字通り花を咲かせ、瞬く間に意気投合して互いに惹かれ合う。
2人が次々と口走る映画や本のタイトル、作家の名前、曲名を聞くだけで、平成の時代を楽しんだ人ならワクワクしてしまうこと請け合いだ。
一緒に暮らして好きなモノを共有し合う、いつまでもそうしていたかった2人もいつの間にか学生を卒業して社会人になる。
資本主義に浸かり切ることからどこか無縁でいられた人間も生活のために否応なく資本主義に振り回されていく。
カルチャーを享受する側だった人間がカルチャーを発信する側でいようとすることの難しさ。
時間の使い方の変化、価値観の変化、現実を踏まえた妥協、恋愛観・結婚観に関する温度差。
資本主義はあらゆるモノを合理的に圧倒的な力で押し運んでいき、それは恋人たちのささやかな想いや日常も例外ではない。
その意味で、2人が初めて出会ったきっかけが終電を逃したことだったのは象徴的だ。
2人は資本主義に乗り遅れて平和に出会った。一方、劇中で2人が満員電車の中で偶然出会うシーンがある。
この時の2人は就職を済ませて残業帰り、資本主義に組み込まれた存在だ。そしてこのコントラストは2人の立場や関係性の変化を示唆する。
ただの恋愛映画ではない。
若い2人の恋愛の経過を描きながら、カルチャーと資本主義の対立・矛盾を浮き彫りにする。
かと言って後者のテーマをことさらに強調するわけでもない。
それくらい2人の出会いからラストまでのやり取りがキラキラしていて目が離せない。この絶妙なバランス配分が素晴らしい。
「花束」は綺麗だけどそれ自体は野に咲いた状態ではなく明らかに人の手が加わっている。
そもそも社会自体の人為から完全に無縁の恋愛なんて存在するのか。この明るくドライで感動的な恋愛映画を見終わってふとそんなことを考えた。