愛する娘を殺された母親の悲しみと怒りが予想もできない物語を紡いでいく傑作『スリー・ビルボード』(実は2018年日本公開作の中でマイベスト1の作品)のマーティン・マクドナー監督がまたしてもやってくれた。
その新鮮な驚きに溢れた待望の新作は、寓意に満ちた何とも魅力的な物語の世界へと観客を誘う。
舞台はアイルランド沖の牧歌的な島、イニシェリン島。
純朴な男パードリック(コリン・ファレル)が親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)からある日突然絶交を告げられるところから、物語は始まる。
絶交される理由に身に覚えのないパードリックは戸惑いを隠せず、コルムの存在を無視できずについつい絡み続けてしまう。
しかし、コルムは頑なな態度を崩さずむしろ強めるばかりで、2人は決して以前のようには噛み合わない。
こうして周囲の人々も巻き込みながら、2人は次第に狂気に駆り立てられるかのように、後戻りのできない強硬な行動をとり始める。
パードリックの戸惑いは観客の戸惑いでもある。
ただこの映画はミステリーではない。
戸惑いを解消させる気の利いた謎解きもなければ、布石を回収したサプライズが待っているわけでもない。
むしろこの映画が描きたいのは、人が個人的な動機や理由に基づき他者との関係性を断とうとした時に、それぞれの個にどのような影響が出るのか、そしてその影響はどのような形でエスカレートすることがあるのか、といった点だ。
これは人には限らない。
国家同士、民族同士でも同じだ。
こうしてここに本作がアイルランド内戦をベースにした寓話的な要素を持っていることに思い至る。
コルムは「これ以上つきまとうなら自分の指を切り落とす」などと実に恐ろしい通告までするが、まるで自爆テロのようでもある。
互いの信念を曲げずに争う2人の傍でそのとばっちりを受けるロバや犬の眼差しは、為政者が行う戦争の犠牲者である無辜の民の眼差しにも見えてくる。
交友関係の断絶がドライに終わらずに、ひたすらウェットに形を変えて混乱と狂気の道を突き進んでいく。
そのエスカレートの様相は哀しくもあり滑稽でもあり、そして何より恐ろしい。
アイルランド内戦に限らなくとも、ロシアとウクライナ、中国と台湾、現在の国家間の関係性に思いを馳せた時に、この映画の寓話性は映画の世界からいとも容易く飛び出してきて私たちの心を鷲掴みにするのだ。
個人のレベルに焦点を戻してみても、本作の2人の諍いは、限られた人生をどう生きるかといった人生観にも深く関係したものと言える。
誰と親しく付き合い、何に時間を使って、目の前の一度きりの限られた人生をどう過ごしていくのか。
対人的な振る舞いというものは自分にどのように返ってくるのか。
人は自らが選択し続けた行動の末に果たして後戻りができるのか。
小さな島の2人の男たちの関係性の変化というささやかな物語を通して、映画はかくも雄弁に観客に語りかける。
監督の驚くべき作家性はもちろんのこと、島の神秘的な雰囲気ら登場人物たちの自然で堂々とした演技も映画を素晴らしい高みに押し上げている。
エンドロールの後も、考えれば考えるほどに、感じようとすれば感じようとするほどに、新たな気付きや深い味わいを得られるような気がする。
まさに未知の魅力に溢れた比類のない1本だ。
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