恋愛や友情といった一般的な関係性に安易にカテゴライズできない男女の特別な繋がり。
そんな2人を活躍華々しく日本映画界を牽引する実力派の広瀬すずと松坂桃李とが主演し、横浜流星、多部未華子がこれまでにない新たなイメージの演技でしっかりとその脇を固める。
監督は『フラガール』『怒り』の李相日、撮影監督は『パラサイト 半地下の家族』のホン・ギョンピョ。
キャストにもスタッフにもまさに今をときめく才能が集結した本作、自ずと期待感が高まるばかりだが先日ようやく公開の日を迎えた。
原作は2020年本屋大賞も受賞した凪良ゆうのベストセラー小説。映画は原作の世界観はそのままに登場人物の心の機微を丁寧かつ生々しくすくい上げる。
物語が描くのは、世間から負のレッテルを貼られることになった2人の男女の切なくも純粋な関係性だ。
家庭内の問題からどうしても家に帰宅したくない10歳の少女、家内更紗。
彼女と公園で出会った19歳の大学生、佐伯文は、彼女を了承の下に自宅に連れて帰り、そのまま2カ月間にわたり生活を共にした。
ほどなく誘拐犯として逮捕された文と、被害者として広く世間に認知されることになった更紗は、当然に関係が切れてしまい、その後事件の十字架を背負いながらそれぞれ生活していたが、15年の時を経てある日偶然再会することになる。
人は社会から自分を完全に切り離して生きていくことは極めて困難だ。
家族関係、仕事、恋人。
普通に生きていく中で関係を築くことになる他者は社会と繋がっているし、人が社会からの評価や承認、認知によって自分という存在を一定に保つことができている要素も否定できない。
しかし、個人の苦しい思いや純粋で自然な欲求に対して、想像力や共感を行き届かせることなく、既存の価値観や枠組みを前提にそれらを殺してしまうのもまた「社会」だ。
そして、インターネットが隆盛して久しく、SNS利用も当然のような世の中になった現代ではその「殺す力」は過去にないほどのスピード感と追求力を備えるに至っている。
大多数の目を引く事件・事故に報道価値が置かれ、本当に必要なのか疑問なコメンテーターの無責任な意見が溢れかえる日常。そこでは個人と個人の関係性に対して他人が何かを思い口に出すことは、どこまでが的を射たものとして許されて、どこからが無責任な邪推にすぎないのか。
この映画はなかなかに答えが出ない問題について、個人の物語にひたすらに焦点を当てることで、改めて立ち止まって考える機会を提供してくれる。
あくまで映画が中心的に描いて観客の心に直接届けるものは、外野の圧力・暴力ではなく、2人の苦しみ、葛藤、驚き、悲しみ、喜びといった人が誰しも抱く感情の移ろいだ。
周囲の好奇の目、悪意、無理解はこの2人の感情と関係の純粋性をむしろはっきりと際立たさせていく。
本来は堂々と感情を対外的にも吐露したいはずの人間が、いくつかの理由からそれをできずに、ずっと感情を押し殺しながら生きているという事実。
その事実の下でも、やはり自分に正直に何かを求めて喜びを感じたいという純粋な想い。
映画の中では、例えば日々の事件報道や数々のYahoo!コメントが放つ派手さのようなものは封印され、そのトーンは一貫して地味に抑えられている。
だからこそこの映画は個の人間の存在意義や尊厳という深淵なところまで辿り着くことができたように感じた。
人の感情の抑制と解放を見事に体現した広瀬すずと松坂桃李。その渾身の演技には、きっと誰しも胸を締め付けられずにはいられないだろう。
(C) 2022「流浪の月」製作委員会