心が震えるとはまさにこのことだ。
それは、自分の心がある場所を再発見するような感覚、体験。
ともすれば、悲しくて重すぎる、と観るのを躊躇してしまう人もいそうな1シチュエーションドラマだが、悲しみや感動を安易に売り物にする作品とは全く方向性が違う。
人は喪失や悲しみの先にどうしたら辿り着けるのかを真摯に模索するかのようなこの会話劇、とにかく予断を持たずに鑑賞してみてほしい。
少人数しか登場しない密室劇だ。
ある高校での銃乱射事件から6年後、被害者家族と加害者家族が直接会って対話する。
犯人により子供を殺された両親と、犯人だった子供を事件で亡くした両親。
会うのは今回が初めてではないが、あまりに立場が違いすぎる2組の夫婦が、4人だけで、事件の原因かについて、子供についてそれぞれ語り始める。
加害者側と被害者側が直接対話を行うというシンプルな図式。
そこでは遺族であるそれぞれの人物の考えが丁寧に披露され、その強い想いが意図的に、あるいは意図しない形で掬い上げられていく。
それはインターネットで被害者でもない不特定多数人か加害者を袋叩きにして高揚感を感じる場面とは全く性質を異にする。
目を見張り、全てを聞き逃したくないほどに、人間の存在意義や価値観、感情に関係する仕草や言葉がそこには雄弁に溢れているのだ。
犯罪に関係する全ての当事者が一堂に会して、犯罪の影響や将来への関わりをどように取り扱うかについて集団的に解決し、被害者遺族の再生を図るプロセスとしての「修復的司法」。
その法制化が遅れていると言われている我が国では、もしかするとそんな考え方自体も決して進んでいないのかもしれない。
加害者を含むその関係者を決して許さないとする被害感情は、そうなるのも無理もないとはいえ、時に報復感情にも等しくなり、賠償による被害回復を除いては加害者と被害者の間に交わる接点が一切生まれないということも決して珍しくない。
本作で初めて脚本・監督を務めたフラン・クランツは、幼い娘を持った後に銃乱射事件のニュースで衝撃を受けて以来、様々な同種事件を掘り下げていった。そうして被害者と加害者の両親の実際の会談の存在や内容を知るに至り驚いたと言う。
本作はそんな実話にインスパイアされたものだ。
親であればこの2組の夫婦のどちらの立場にも立ちたくない。ただ、そのやり取りの中には決して目を背け、耳を塞ぎたくない気付きや感動がある。
その感動の出発点として銘記されるべきは、何といっても再生のために対話を試みる2組の夫婦の勇気と誠実さだろう。
そのドキュメンタリーさながらの言葉のやり取りは、悲痛を伴う鋭い応酬から優しい手を差し伸べるような暖かみのあるものまで、実に様々で、どの言葉にも真実味が宿っている。
全員に賞をあげたいほどに自然で重みのある熱演を見せてくれる4人の主要キャストだが、中でも加害者少年の母親を演じたアン・ダウドの存在と雰囲気は圧巻だ。
ただ悲しくて重たいものを見せられるかもしれないと危惧していた観客も含め、誰もが予想だにしないような場所に連れて行かれるだろう。
それはまさに映画体験の醍醐味と言える。
怒り、悲しみ、憎しみ、喪失感、赦し、希望。
誰しもが生きる上でこれらの感情や感覚と無縁ではいられない。
そんな全ての人に手放しでオススメしたい、人間というものに対する洞察に優れた感動作だ。
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